頭上から降る蝉時雨は、絶え間なくわたしたちを取り巻く。
わたしは2年前で更新がストップされた彼の映像を、
とにかく最新に書き換える事に必死だった。


蝉時雨


わたしたちの地元の夏祭りは結構盛大で
毎年のように浴衣を着ては、夏の風物詩を抓まんで楽しむ。
今年は久しぶりに会った中学時代のメンバーと
傷口を舐め合うように思い出を共有しながら笑った。

わたしの隣で石段に座る彼の横顔は
2年前と変わらずに美しくて、
だけど2年前より凛々しさを帯びていた。

「麻衣と慧は相変わらず仲良かったな。」
「そうね。珍しいよね、こんな長く続くなんて。」
「ああ。あの頃はすぐ別れると思ってた。」
「うそ、実はわたしも。」

隣で笑う彼の声も
耳を劈くような蝉の音も
なんだか違う世界の空気の振動のようだった。

この違和感はなんだろう。
まるで耳に薄い膜が張ったような
周りを透明なガラスに囲まれているような
外界とは一線を引いているような、この感覚。

色とりどりの浴衣とか、水の音、噎せ返るような人いきれ。
そういう物のひとつひとつが、
わたしを隔離して、溶け込ませてくれない。

それとも、わたしはまた、自分から離れようとしているのだろうか。

「瑞穂は、」

突然なまえを呼ばれて、その懐かしい感覚に鳥肌が立った。
ああ、彼がわたしのなまえを呼ぶという事は、
こんなにも官能的だったのだ。

「なんか落ち着いたよな。大人になったってゆうか。」

そんな事ない、と、言いかけてやめた。
わたしにとっては、彼にどう思われているかがすべてだから。
彼の瞳に映るわたし以外、必要ない。

「そうかな。」

自分で思っていたより素っ気無い声が出た気がした。

「中学の時はさ、なにかあると、
 "麻衣、どうしよー"とか、"颯太、助けてー"ってさ。」

彼は記憶を辿って、懐かしむようにわらう。
空を仰いだその瞳が、過去のわたしを見ている。

そうやって昔の話をされる毎に、
落としてきてしまった記憶のピースが
"中学生の瑞穂"というパズルを完成させるように
ひとつずつはまっていく。

「すぐ慌てて、ひとりで焦ってたけど、
 いまはちゃんと自分で考えてるって感じがする。」

彼にそう諭されると、そうなのかな、と納得してしまう自分がいる。
彼の考えを否定するのが怖いんじゃない。
"彼の考えを否定する"という行動が、
わたしの中にインプットされていないのだ。

「颯太はどう変わった?」

映像だけじゃない部分まで、2年前から更新がストップされていた
わたしの中の"颯太データ"は
もっと新しい、もっと本物の颯太を欲しがった。

「さあ…自分ではわからないなあ。」

何も変わってないかもしれない、と呟いて、すこし笑った。
腕に水風船のヨーヨーの輪ゴムが食い込む。
高2にもなって、まだこんなものを夢中に欲しがるのだから、
わたしのほうが何も変わっていない。

「颯太のほうが大人になったと思うよ。」

その分、もっと遠くへ行ってしまったようなきもちになる。
蝉時雨は止まない。

「まあ、みんなそれぞれ成長してるんだよな。
 きっと、おれも、自分で気付かないところで。」

胸がぎゅーっとなった。
それはきっと浴衣の帯に
締め付けられている所為だろうと、
自分を誤魔化す。

ほとんど完成しかけた"パズル・中学生の瑞穂"が描くのは
どうしようもなく颯太を想い続けた淡い記憶である事に、
彼は気付いているのだろうか。

「蝉時雨ってさ…」

彼は鬱蒼と生い茂る木々の隙間を縫って霞む空を見上げながら呟いた。
若しくは、その木々の見えないところで、
死に物狂いで声をあげている蝉たちを見ていたのかもしれない。

「蝉の鳴き声を、時雨に喩えたことばだろ。
 時雨ってすぐに止んじゃう雨の事で、
 蝉も夏だけで消えちゃう存在なんだよな。」

滲む汗を浴衣の袖で拭く振りをして
溢れ出した泪を零れないうちにに拭った。

そんな事、考えた事もなかった。
ああ、ねえ颯太、それはまるでわたしたちの夏のようだね。

夏のほんのすこしの間しか生きられない蝉と
夏のほんのすこしの間しか再会できないわたしたち。

夏のほんのすこしの間だけ、鮮明に蘇る、あのきもち。

「そうだね…。」

わたしとその他のひとやものとを
隔てていたバリアみたいなものが
解けていくのを感じたとき、
もう夏は終わりかけているのだという事に気付く。


蝉時雨は止まない。





2006/08/18
"continuous chorus of cicadas"

*

photo material by 君に、
joint:"POETIC SUMMER FESTIVAL vol.3"(水希舞羽さま)