「たとえばさ」

彼のグラスの中の氷は
浮かんでいるというよりは
敷き詰められているみたいだった。

「人生やり直せるとするじゃん」


午後4時のメロンソーダ


敷き詰められた氷たちが
毒々しい緑のメロンソーダの中で
窮屈そうにストローで回されて
すこしずつ角がとれてゆくさまを
特に意味もなく、眺めてた。

「たとえばの話だよ?」

わたしの相槌を促すように
顎を引いた上目遣いで彼は言った。
半透明なストローに奇抜な緑が走る。

「うん、それで?」
「それでさ、人生やり直す瞬間にさ」

語尾に"~でさ"を付けるのが
彼のちいさい頃からの口癖だった。

「なにか記憶を1個持って帰れるとするじゃん!!」

世紀の大発明をしたかのような
彼の瞳の輝きは、すこし滑稽でもあった。

「よく意味がわからない」
「だからさ、ちゃんと聞いてよ?」
「聞いてるわ」

わたしのぶっきらぼうな返答に
ため息が混じっている事に
彼はいつも気付かない。

「いままでの人生の中で経験してきた事とかさ、
 読んだ文章とかさ、言われたことばとかさ、
 教訓でも座右の銘でも誰かの名前でもなんでもいいんだ!
 もう1度始まる新しい人生に、記憶をひとつプレゼントできるのさ」

彼にしてはおもしろい発想だと思った。
だけど逆に、ひどく彼らしいとも思った。

「もしそんな事があったらさ、
 きみはなにを持って帰る?」

緑が勢いよく吸い上げられる。
だらしない音を立てて
半透明の中を空気が通った。

「ぼくだったらさ」

わたしの返事を促したのかと思っていたら
彼は自分の意見を真っ先に話し出した。
そんなところも彼らしくて、すこし笑えた。

「友達を大切にしろよ!とか
 ひとの悪口を言うなよ!とか
 そうゆう言葉を持って帰りたいなあ」

まだ緑がへばりついた氷を
ざくざくとストローで傷付けながら言う。

「そうすればさ、ついうっかり
 友達にひどい事いいそうになっても
 なんとなくストップできそうな気がするじゃん?」

今度は氷をくるくるとまわしている。
固体が液体に成る奇跡を弄びながら。

「きみもそう思うだろ?」
「そうね、素敵な考え」

グラスに僅かに数滴残っているメロンソーダは
西から傾く光を乱反射してすこし綺麗だった。
そこにはもう毒々しさは感じなくて
彼お手製のステンドグラスみたいだった。

「きみだったら、なにを持って帰る?」

さっきと同じような質問を繰り返した彼は
なんとなく夢見心地の子犬みたいだった。
…犬が夢を見るのかどうかは知らないけど。

「難しいわね」

たまには彼の質問に
真剣に答えようと思ってみた。
グラスの中で緑がかった透明が流れてる。

「…ぼくと出会えた事、なんてどうかなあ?」

自分の事を"ぼく"と呼ぶ彼が
どうしようもなくいとおしくて
彼には"俺"でも"私"でもなく、
"ぼく"がいちばんぴったりだと思った。

「きっとそれがいちばんいいわ」

手を伸ばしたアイスティのグラスには
細やかな水滴が行儀よく並んでいた。
指先で触れた場所から順に
泪みたいに雫になった。





2007/02/18
"the melon soda at 4:00 pm"